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福岡地方裁判所 昭和33年(ワ)799号 判決 1961年11月14日

原告 大塚兼男

被告 松吉勝也

主文

福岡県糸島郡志摩村北西約四、〇〇〇メートルの海底(方位北緯三三度三六分、東経一三〇度一八秒)に石炭一、四三〇トンを積載したまま沈没している汽船姫川丸(沈没前約八八〇トン)の残がいは原告の所有であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として、「原告は、昭和三二年八月一六日福岡県糸島郡志摩村沖合北西約四、〇〇〇メートルの海底(方位北緯三三度三六分、東経一三〇度一八秒)に石炭一、四三〇トンを積載したまま沈没している汽船姫川丸(沈没前約八八〇トン)の残がいを現場有姿のままその所有者である訴外株式会社松庫商店(以下、訴外松庫商店と略称する。)から代金金五〇、〇〇〇円で買い受けてその所有権を取得した。しかるに、被告は、右沈船が自己の所有に属すると主張して原告の所有権を否定し、原告が同沈船の船体を解体して引き揚げようとするのを妨害するので、原告は、右沈船が原告の所有であることの確認を求める。」

と述べ、被告の主張に対し、

「被告は、本件沈船は、船名ならびに所有者不明の船舶であるとして昭和三二年八月一九日その発見拾得者である被告においてその主張のように水難救護法によつて志摩村村長から引渡をうけてその所有権を取得したと主張する。しかしながら、右志摩村村長の引渡処分は、つぎに述べるように数数の重大なかしがあり、無効であるから、被告はこれによつてその所有権を取得するいわれはない。すなわち、(一)右沈船の発見拾得者は被告ではなく訴外持田宗五郎である。同人は、昭和二八年八月一日すでに右沈船を発見拾得すると同時に、これを同人所有の第二共立丸と誤信して爾来三ケ年にわたつて引揚作業を施してきたものである。(二)右沈船は、八八型、丸型の原型をとどめたまま石炭一、四三〇トンを積載して約四十米の海底に沈没しているのに、被告提出の右志摩村村長宛発見届には「船舶の原型を止めぬ屑鉄と認む」と表示されているのであつて、右発見届は全く真実に合致しないものである。(三)被告は、右発見届後告示期間内に右沈船は訴外松庫商店所有の隼丸であるとして同訴外会社との間にその解体引揚作業の請負契約まで締結したのであるから、これによつて右発見届は撤回したものというべきである。被告は、右発見届後真の発見者持田に対しては右沈船は隼丸であると称し、また、右訴外会社に対してはこれを同じく隼丸であるとして同会社との間に前記のような請負契約までを締結してこれらをけん制し、その挙句右告示期間満了近くにいたるや再びこれを隼丸ではなく所有者不明の拾得物であると主張し出したものであつて、かかる不信行為は許さるべきではない。(四)右発見届には当初右沈船の位置が北緯三三度五二分、東経一三〇度五一分と記載されていたため、志摩村村長もこれにもとづいてそのとおり同村役場の掲示場に掲示してこれを公告したところ、その後被告において同村長に対し昭和三二年四月二五日付で右沈船の位置は北緯三三度三六分、東経一三〇度二分の誤りであるから訂正する旨の訂正届を提出したが、同村長はこれについて何の公告手続もなさずに放置した。したがつて、右公告には発見物特定のための要素たる方位について重大な過誤を有していたものといわなければならない。(五)水難救護法による公告方法は、本件沈船のごとく少くとも一〇万円以上の価格のある物件については官報または新聞等に掲載してなすべきであり、かつこの種公告方法についてはこれが行政慣例であるにもかかわらず、同村長はこれを単に村役場の掲示場に掲示して公告をしたに過ぎないのである。(六)原告は、志摩村村長に対して昭和三二年五月七日右沈船が訴外松庫商店所有の隼丸であることを理由に告示解除願を提出し、さらに同年八月十五日同村長あてに同月二十日までにその証拠書類を同役場に提出する旨通知したにもかかわらず同村長がその前日たる同月十九日に被告に対し右沈船の引渡処分をしたことは水難救護法の趣旨に反するばかりでなく行政慣例にも違反するものであつて、全く違法な措置である。」と述べ、

立証として、甲第一ないし第一七号証、(もつとも、同第四、第一五、第一六号証はいずれも写である。)第一八号証の一ないし四、第一九号証の一、二、第二〇及び第二一号証を提出し、乙第一号証の成立は認める、同第二号証の一は郵便官署作成部分の成立は認めるが、その他の部分の成立は否認する、同第二号証の二の成立は否認する、その他の乙号各証の成立はいずれも知らないと述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として

「一、原告主張の請求原因事実中、原告がその主張の日に本件沈船を姫川丸であるとして訴外松庫商店からこれを買い受けたとの事実は知らない。また、原告の主張する本件沈船が姫川丸であつて原告の所有であるとの事実は否認する。

二、原告の主張する右姫川丸は、昭和二〇年七月二四日大分県東国東郡姫島燈台付近で触雷によつて沈没し、同二七、八年ごろから右松庫商店において数年にわたつて解体引揚作業を施行し、すでにその大部分を引き揚げているものであつて、右沈船は、原告のいう姫川丸ではない。

三、本件沈船は、今なお船名ならびに所有者不明の船舶であつて被告はこれを同三一年五月ごろ発見拾得したので、約一箇月にわたつて手をつくしてその所有者を調査したが、結局判明しなかつたため、同年六月二八日水難救護法第二四条によつてこれを右拾得地の市町村長である福岡県糸島郡志摩村村長に引き渡したところ、同村長は、即日同法第二五条にもとづいて同沈船を所有者に引き渡すべき旨を公告したが、結局右公告をした日より一箇年以内に所有者がその権利を疎明してその引渡を請求しなかつたので拾得者たる被告において同三二年八月一九日同村長より同法第二八条にもとづいてその引渡を受けてその所有権を取得したものである。

四、仮りに、右沈船が原告主張のように姫川丸であるとしても、原告は、被告が右村長より同沈船の引渡を受けるまでにその所有権を疎明することができなかつたので、結局同村長において前述のようにこれを被告に引き渡したものであり、したがつて、これによつてその所有権は被告に帰属するにいたつたものである。

以上の次第であるから、原告の本訴請求は失当である。」

と述べ、

立証として、乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三号証の一ないし四、同第四号証を提出し証人清水嘉七の証言を援用し、甲第一、第二、第四、第九、第一〇、第一二ないし第一五号証の成立は(ただし、同第四、第一五号証については原本の存在についても)いずれも知らない、甲第五ないし第七号証、第二一号証については官公署作成部分の成立は認めるが、その他の部分の成立は知らない、その他の同号各証の成立は(もつとも、同第一六号証については原本の存在についても)いずれも認める(ただし、同第三号証中訂正部分の成立は否認する)と述べた。

理由

福岡県糸島郡志摩村北西約四、〇〇〇メートルの海底(方位北緯三三度三六分、東経一三〇度一八秒)に船舶の残がい(以下、本件沈船ともいう。)が沈没していることは、被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

ところで、成立に争いのない甲第一九号証の一、二、同号証によつて真正に成立したものと認める甲第一、二号証によると、訴外松庫商店は、昭和二四年四月三〇日訴外大阪商船株式会社から昭和二〇年七月二四日佐賀県姫島付近において触雷によつて沈没した汽船姫川丸の残がいを現場有姿のまま代金二万円で買いうけその後同三二年八月一六日原告が松庫商店から右姫川丸の残がいを現場有姿のまま代金五万円で買いうけたことが認められる。

そこで、原告は本件沈船が右姫川丸の残がいであると主張し、被告はこれを争うので、この点について考察する。

成立に争いのない甲第二〇号証、門司市長作成部分については成立に争いがなく、その他の部分についてはその趣旨ならびに方式によつて真正に成立したものと認める甲第二一号証および文書の趣旨ならびに方式によつて真正に成立したものと認める乙第二号証の二を合せ考えると、松庫商店は、昭和三一年九月ごろから翌三二年三月ごろまでの間北緯三三度四七分二四秒、東経一三一度二四分一二秒の地点(大分県東国東郡姫島沖合)に沈没している船舶を姫川丸の残がいであるとしてその解体引揚作業を実施してきたところ、おそくとも昭和三二年五月二日ごろまでには右沈船が姫川丸の残がいではないかもしれないとの疑念をもつようになり、同年八月一日ごろまでにはこれを姫川丸の残がいではないと断定するにいたつたことが認められる。ところで、他方いずれも成立に争いのない甲第一八号証の一ないし四、同第一九号証の一、二、これらによつていずれも真正に成立したものと認める甲第九、第一〇号証、およびいずれも成立に争いのない甲第八、第一一、第一六、第一七号証(同第一六号証については原本の存在についても争いがない。)乙第一号証を総合すると、訴外持田宗五郎は、昭和二八年ごろから本件沈船を自己が他から買いうけた第二共立丸であるとしてその解体引揚作業をしてきたところ、同三一年六月二八日被告が右沈船について所有者不明の沈船を発見したとして水難救護法第二四条にもとづく沈没品発見届を志摩村村長に提出するとともにそのころその解体引揚作業に着手した。そこで持田は、右沈船は石炭を積載した八八型の第二共立丸に間違いない、さもなければ松庫商店所有の同型の隼丸であるといつて被告とその所有権を争つたため、被告は、そのころ麻生海事工業所こと麻生喜代治とともに柴田政徳を介して当時松庫商店門司出張所の相談役としてその代理をしていた原告のもとにおもむいて原告に対し右沈船は松庫商店所有の隼丸であるとしてその解体引揚作業の請負方を申し入れた結果、結局原告もこれを隼丸であるとして同年七月一四日ごろ麻生名義でその作業を実施することを同人らに委かせた。その後同年一〇月ごろ被告は原告に対し右沈船を代金四十五万円で買いうけたい旨を申し入れ何回となく交渉を重ねたが、同三二年五月ごろにはその話合も解消となつた。原告はそのころ松庫商店に代つて前記村役場に対し右沈船は松庫商店所有の隼丸であるとして水難救護法第二五条にもとづく右沈船に対する公告手続の取消方を求めるとともにそれ以来引き続きこれを隼丸であると主張してきた。ところがその後同年八月一五日右村役場から原告に対し右沈船が隼丸であるとの証拠書類を同月一七日までに持参すべき旨の通知があつたので、原告は即日倉田富士蔵に頼んで同村長あてに同月二〇日までに書類をもつていく旨の電報をうつと同時に各方面についてその調査をつくしたところ、右沈船は、前記の姫川丸であることが確認せられたので、同月二〇日倉田とともにその証拠書類を持参して同村役場におもむいたが、同村長は、同月十九日すでに右沈船は隼丸と断定しがたいとして水難救護法第二八条にもとづいて右沈船を被告に引渡ずみであつたことが認められる。

そこで、以上認定の事実に前示甲第一九号証の一、二および文書の趣旨ならびに方式によつて原本の存在ならびにその成立を認めうる甲第四号証、いずれも官署作成部分については成立に争いがなく、その他の部分については文書の趣旨ならびに方式によつていずれも真正に成立したものと認める甲第五、六号証、前記甲第一、二号証、同第八号証、同第一八号証の一ないし四、同第一九号証の一、二を合わせ考えると、原告ならびに前記松庫商店門司出張所は、当初はその船型、噸数、積荷、沈没日時および場所等の関係から被告らのいうがままに本件沈船を松庫商店が昭和二四年一一月一一日東京海上火災保険株式会社から買いうけた隼丸であると信じ、前記大分県東国東郡姫島沖合に沈没していた船舶を松庫商店が同年四月三〇日大阪商船株式会社から買いうけた姫川丸であると誤解していたようであるが、本件沈船は実際は松庫商店が右のように大阪商船株式会社から買いうけた姫川丸であつたことが認められる。そして他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

そうすると、本件沈船は、前記のように原告が右松庫商店から買いうけたものであり、したがつてこれと同時にその所有権は原告に帰属したものといわなければならない。

そこで、被告は、本件沈船は、被告が昭和三二年八月一九日水難救護法第二四条によつて志摩村村長から引渡をうけてその所有権を取得したと主張するので、この点について判断する。

被告が昭和三一年六月二八日所有者不明の本件沈船を拾得したとして水難救護法第二四条によつて志摩村村長に発見届を提出してこれを同村長に引き渡したところ、同村長は、即日同法第二五条にもとづいてこれを所有者に引き渡すべき旨の公告をしたが、一箇年以内に所有者がその権利を疎明して引渡を請求しなかつたことを事由に同三二年八月一九日同法第二八条にもとづいてこれを被告に引き渡したことは原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

前記甲第一九号証の一、二、成立に争いのない乙第一号証原本の存在ならびにその成立に争いのない甲第一六号証(沈没品発見届)に証人清水嘉七の証言を総合すると、被告の提出した前記発見届には、本件沈船の沈没場所を志摩村姫島沖合北西約三マイル海底別紙略図の通り(ただし、同略図の添付なし)、その沈没場所の方位を北緯三三度五二分二〇、東経一三〇度五一分名称船舶の大破せる残骨、総数量推定約三〇〇噸、品質船舶の原型を止めぬ屑鉄と認む、沈没年月日昭和七、八年頃と推定、沈没原因不明と記載されていること、志摩村村長はこの発見届にもとづいてその記載どおりの事項を公告事項の内容として同村役場の掲示場に掲示の方法をもつて前記のように公告をしたこと、被告はその後同三二年四月二五日付で右沈没場所の方位を北緯三三度三六分、東経一三〇度二分に訂正する旨の訂正届を同村長に提出したが、同村長はこれについて何らの公告をしなかつたことが認められる。

ところで、右村長のなす公告については、水難救護法第二五条において市町村長は拾得者より引渡をうけたる物件を所有者に引き渡すべきことを公告すべき旨規定せられているだけであつて、その他の公告すべき事項については法令上何らの定めがないけれども、その性質上拾得物件の品名、数量、拾得の日時、場所等を表示する等これを特定するに足りる事項を明示すべきであつて、これは同公告の重要な部分であるというベきであるから、右特定するに必要な限りできるだけ正確に表示すべきものと解せられるところ、同村長がした公告は、前認定のように一方において本件沈船の沈没場所を志摩村姫島沖合北西約三マイルの海底と表示しほぼ実際の沈没箇所を表示しているけれども、他方においてこれにあわせてその沈没場所の方位を北緯三三度五二分二〇、東経一三〇度五一分と表示しており、これを地図によつてみると同箇所は戸畑市近辺にあたるから、右沈没場所とはいちじるしくかけ離れた箇所を表示していることとなる。そうすると、右公告は本件沈船の沈没箇所の表示自体に重大なくい違いがあり、同沈船を特定するに必要な沈没箇所を明示したことにはならないのである。しかも、この沈没箇所の表示を除いた前記公告事項だけでは本件沈船を特定することができないから、結局右公告は、公告の重要な部分に重大かつ明白なかしがあり、無効といわなければならない。さらに、また右公告の公告方法については、右公告事項に関すると同様法令上何の定めもないけれども、前記甲第一、二号証、同第一八号証の一、および四、同第一九号証の一、二を合わせると本件沈船は戦時中被爆によつて沈没した船舶であり、しかもこれは公告当時少くとも数万円の価格を有していたものと認められるから、このような場合においては右公告の公告方法は前記に認定したように同村役場の掲示場における掲示による公告だけではなく官報その他時事を掲載した新聞公告によるべきであると解せられるところ、同村長は、前記に認定したように本件については掲示場における掲示公告をしただけであつて、何らこのような公告方法による公告をしていないのである。果して、そうだとすると、同村長が右認定のような公告方法による公告をせず、しかも同村長において実際にした公告が右に認定したように無効である以上公告しかも有効な公告のなされたことを前提としてなした同村長の本件沈船に対する前記引渡処分もまた当然無効であるといわなければならない。

のみならず、水難救護法第二四条にいう沈没品の拾得とは、海中または河川その他湖沼中等に沈没した物件であつて、他の占有を離れその処分権限外にあるものの占有を取得することを指称するものと解するのを相当とするところ、本件沈船は、さきに認定したとおり被告がこれを拾得したと称する当時においてはすでに持田宗五郎がこれを他から買いうけた自己所有の第二共立丸であるとしてその解体引揚作業を実施してきていたものであるから、たとえ被告が本件沈船を発見拾得したとして市町村長にその届出をしたとしても、これをもつて右にいう沈没品の拾得ということはできないから、本件については水難救護法の沈没品の拾得に関する規定を適用することは許されないのである。しかも、またこれが右にいう沈没品の拾得にあたるとしても、同法第二八条の規定にもとづいてなす市町村長の引渡処分は、これによつて拾得物件に関する所有権の得喪をきたさしめるような重大な効果を生ぜしめるものであることは同条の規定に徴して明らかであるから、同条の規定の趣旨をその裏からうかがえば、右の引渡処分は、所有者において同法第二七条、同法施行令(昭和二八年政令第二三七号)第二条所定の期間内にその権利を証明ないし疎明してその引渡を請求した場合ばかりでなく、その引渡を請求したものの権利の帰属について市町村長との間に争いがあり、しかも、当該請求者の権利の主張が明らかに不当なものでないと認められるような場合においてもこれをなすことはできないものと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、原告は、前記に認定したように松庫商店に代つて昭和三二年五月ごろ前村役場に対し本件沈船は松庫商店所有の隼丸であるといつて同村長のした前記公告の取消方を申し入れるとともに、それ以来引き続き同村役場に対しその権利を主張してきたところ、その後同年八月一五日同村役場から同月十七日までにその証拠書類を持参するよう求められたので、原告は即日前述のように同月二〇日までに書類を持参する旨同村長あてに打電するとともに、極力本件沈船に対する権利関係を調査したところ同沈船は結局松庫商店所有の姫川丸であることが確認せられるにいたつたので、同月二〇日その証拠書類を持参して同村役場におもむいたところ、同村村長は同月一九日すでに右沈船は隼丸と断定しがたいとして水難救護法第二八条にもとづいてこれを被告に引き渡していたものであるから、このような事情のもとにおいては、同村村長としては、右沈船に対する権利の帰属について原告と同村長との間に争いがあり、しかも、原告の右権利の主張が必ずしも明らかに不当なものではないとして、(これが明らかに不当であると認めるべき証拠は何もない。)これを同法条にもとづいて引渡処分をなすべきではないというべきである。したがつて、この点を無視してなされた同村村長の前記引渡処分には重大かつ明白なかしがあるものといわなければならない。

果して以上のとおりだとすると、同法第二八条を適用してなされた同村村長の前記引渡処分自体もまた当然無効であるといわなければならない。

そうすると、被告は、同村村長の前記引渡処分によつて本件沈船に対する所有権を取得するに由ないものといわなければならない。

果してそうだとすると、本件沈船は、原告の所有に属することが明らかであるのに、被告がこれを争いその所有権を主張する以上は、原告においてその所有権の確認を求めるについて正当の利益があることもちろんであるから、原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 唐松寛)

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